ここがポイント!内容をきちんと理解して覚えよう

百人一首は、決まり字と下の句の頭のみ覚える、語呂合わせで覚えるなど様々あります。どの様な覚え方でも問題はありませんが、しっかりとその句の内容を理解して覚えるという点が大事ではないでしょうか。

句の内容だけでなく、その句を詠んだ人がどういった人であったか、そしてエピソードや歌が詠まれた背景について広範囲にわたり知ることで、エピソードが土台としてありその上にある句をいつの間にか覚えていたというのが好ましいかもしれません。

例えば、『瀬を早み 岩にせかるる滝川の 割れても末に あはんとぞ思ふ』という崇徳院の句がありますが、これは川の瀬がさぁっと流れていき、その先に岩があるため岩のところで水が分かれるのです。

そして分かれるのだけれども、分かれた先で再度水が合流するという意味があります。人は一度分かれたとしてもまた一緒になれるという、再会を夢見る句なのです。崇徳院は悲惨な生涯を終えていて、それを思うときこの句に託された思いが胸を打ちます。

崇徳院というのは、1156年の保元の乱において後白河天皇勢に敗れ、四国の讃岐に流されました。その讃岐の地で都に帰りたいと一心に願いながら亡くなったのでした。その後700年経った明治元年に、崇徳院の御霊は京都に迎えられて、白峰神宮に収められたのです。

それは明治天皇が、戊辰戦争で崇徳院の怨霊が旧幕府軍に味方しないようにと考えたからでした。上記の句は、崇徳院が体験したことを和歌にしたものではないのですが、崇徳院の凄まじい生涯と重ねてみれば、きっと皆心に迫るのではないでしょうか。

こういった、句1つ1つにあるエピソードや背景についても知ることは、句に対する思い入れも変わってくるかもしれません。また、子供もしくは孫が百人一首を覚えてきて披露してくれたとします。

その際に、その句のエピソードや背景について語ってあげられたなら、その時は子供は意味が分からないかもしれないものの、あとになっても心に残っているものでしょう。さらに、中学校や高校になると学校では古典の授業が始まります。

私たちが普段慣れ親しんでいる現代文とは全く異なる仮名遣いや読み方、単語の意味などは、日常的に慣れていなければとても難しいと感じるかもしれません。『いとおかし』は『趣がある』という意味であると習った記憶のある方もいると思います。

面白いという意味ではないのです。それに、百人一首では5・7・5・7・7で成る句からどういった意味であるかを読み取る読解もあります。古典の音読が上手になることや、古語の言い回しに慣れ文脈の理解ができるようになるという効果も期待できるのです。

そのため、単に百人一首を覚えるのではなく、理解ができてから楽しむこともできるでしょう。学校の宿題でという理由や、テストに出るという理由ではなかなか子供側も覚えにくいかもしれません。

読解をすることで、百人一首自体に親しめるように取り組みがされているということです。