きゅんとする?百人一首の恋に関する歌を見てみよう

百人一首には、恋に関する句が多くあるのをご存知でしょうか。テイストも、悲恋ものの切ない内容など様々です。例えば『筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる』という句があります。

こちらは、筑波山の峰から落ちてくるみなの川が、最初のうちは細い流れだったものが段々と水嵩を増して深い淵(霞ヶ浦)になるように、密やかにあなたを想う私の恋心もどんどんと積もっていき今では深い淵になった、と訳せます。

上記の句を詠んだのは陽成院ですが、彼は姉のように慕ってきた親戚の女性にずっと想いを寄せていました。その深い気持ちを読んだ句が上記です。続いて『わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ』は元良親王が読んだ句です。

訳は、会えないのであれば私は死んだも同然です。それならばいっそのこと、難波潟にある澪標のように身を尽くしても良いから会いたい、となります。元良親王は平安時代の中でも1番とも言われるほどのプレイボーイであったとされています。

元良親王は宇多上皇が気に入っていた后と人目を忍びこっそりと愛し合っていました。しかしある時、それが発覚してしまい元良親王が嘆き悲しみつつ愛する人に送ったというのが、こちらの句です。

『玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば しのぶることの 弱りもぞする』という句は、私の命よ絶えるなら絶えなさい。このまま生き延びていても耐え忍ぶ私の心が弱くなってしまい、自分だけの心に秘めている想いが人に知られてしまいそうだから、と訳せます。

この句は式子内親王が詠んでいますが、彼女は新古今和歌集の代表でもある女流歌人です。和歌を藤原俊成に学んでいたものの、あとになり藤原定家が教えるようになったことで、定家への叶わない恋心を詠んだ句となっています。

さらに百人一首には、両想いではあるけれど切なさのある句もあります。『忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな』は、儀同三司母(ぎどうさんしのはは)が詠んだ句であり、新古今集に掲載されました。

この句は儀同三司母が夫である関白・藤原道隆が儀同三司母の元へと通うようになった頃に詠んだとされています。新婚当時ということですが、平安時代は一夫多妻制で通い婚が通常なので、もしも藤原道隆が心変わりしてしまい儀同三司母のところに来なくなってしまえば離縁も考えられる時代でした。

もしかしたら来なくなってしまうかも、来なくなってしまったらどうしようと、幸せながらもその中に入り混じる不安を詠んだものです。次の『忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人の命の 惜しくもあるかな』という句は女性歌人の右近が詠みました。

醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房であり、元良親王や藤原敦忠、藤原師輔と恋愛関係にあったとされています。こちらの句は、「あなたに捨てられる私の身はどうなっても構わない。けれど、神に永遠の愛を誓ったあなたの身が、神罰により失われてしまうのではないかと、惜しまれてならない」という意味があります。

捨てられた女の気持ちを詠んでいますが、相手の身を案じれるというのはなかなかできることではないかもしれません。もしかしたら、女としての意地もあったのでしょうか。こうした、別れの句もあるということです。

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